あさイチからめんどくさいことに気づく
稼ぐ方程式をクライアントと共に
探究・実践する課題解決の外部頭脳
社外COO(スーパー・ファシリテーター)な
「さわちゅう」こと、澤田隼人です。
澤田の朝は早いというか
年末デスマーチ中というか・・・。
朝2時から本格的にオシゴト。
クライアントからギリギリで届いた
書類を猛ダッシュでチェック👀
で、気がついてしまった・・・
とんだもないミスに😂
これ、このままツッコんだら
やばい状況になるわー
っということで
9時から臨時対策会議。
からの、午前中にはリカバリー。
ふう。これでなんとかなったか😃
まぁ、当初のプランニングも
そこだけ見れば悪くわない
わけなんですけども・・・。
全体としてみれば
まったくよくないという😂
なのでソッコーで
組み直しなわけなんですけども。
一回、バラシて組み直し。
さわちゅう
大きければ、
バラせばいい。
大きな問題にぶち当たった
ときなんかもそう。
まずは、分解しちゃえばいいんです。
で、分解したパーツごとに
理想の未来をまずはイメージする。
分解して、原因を探すんじゃなくて
分解して
理想の未来との
ギャップを探す
んです。
でね、個別の理想の未来が
イメージできたら、次は、
組み立てる
のです。
理想の未来のイメージを
組み合わせて、組み立てて
全体としての理想の未来を
達成できるのか
そして
全体としての理想の未来を
達成するべきことはなにか
ということを仮説・実践、
そして検証してみる必要が
あるのです。
さわちゅう
最適解を探究して
実践せよ!
って、ボクは言っているんですけども。
最適解って、変わるんですよ。
そのときの、最適解ですから。
最適解ってのは生き物です。
ステージが変われば
最適解も変わるのです。
だからこそ
最適解は探究しがいがある。
変わらないと言われるために
変わり続ける必要があるわけです。
常に、最適であるために。
マーケティング上の施策にしても
経営上の課題についても
課題・解決策をボン!と出す
ってのをよくやってます。
特にクライアントに対しては、
見抜けますからね・・・。
まぁ、それには
カラクリがあるわけで。
何やってるかというと
圧倒的なスピードで
理想の未来を描いて
圧倒的なスピードで、
やるべきことを逆算。
まずはこれなわけです。
で、その後
圧倒的なスピードで、
やるべきことを実践する。
やってることはシンプルです。
で、こうやって問題に対処するとき
ボクが必ず思考していることがあります。
それは・・・
理想のワクワクする
未来はどんなものか?
つまり、得たい未来は
どんなものか?ってことを
ニヤニヤしながら考えるのです。
具体的なゴールを決める、のです。
でね、その未来と現実のギャップ
これを埋める方法は何があるか?
って、考えて、
即、実践、です😁
テストをしまくって、
最適な方法を探していくわけ、です。
答えは一つじゃない。
っていうことが多いんですよね。
真実は一つ、かもしれませんが。
複数解があることが
非常に多いわけです。
で、その中で何が最適か?
っていうことを考えて、
選択していく、のです。
正解と正解を組み合わせても
全体として正解にはならない
なんてことがあるから
最適解を見つけ出すのは
難しいわけですけど。
分解したパーツごとに、
理想の未来をまずはイメージする。
分解して、原因を探す、
んじゃなくて、
分解して、理想の未来を探す。
わけなんですけども。
個別の理想の未来が
イメージできたら、次は、
組み立てる
のです。
理想の未来のイメージを
組み合わせて、組み立てて、
全体としての理想の未来
を達成できるのか、ということを、
検証してみる必要があるのです。
部分最適解が対立する
というこがあるわけ。
営業部の最適解はこう、
製造部の最適解はこう。
で、これを単純に合体させたら、
会社として最適解だー!
ってなりそうなもんなんですけど、
そうは、問屋はおろしてくれない
わけですよ。経理部とかが出てきて(汗)
でね、部分最適解であっても、
全体最適解にならないのであれば、
やはりそれは、最適解ではない、
と、考えていくのが、
正しい思考の方向性だと考えるのです。
ボクの言葉をちゃんと読むと、
あることに気がつくはず、です。
全体としての理想の未来
を達成できるのか、ということを、
検証してみる必要があるのです。
ということは、ですよ、
全体としての理想の未来
これを描くことが先だ、
っということなんですよね😚
全体最適解から、部分最適解
これを見つけていくんです。
全体の最適解のデザイン、
これを確定させる。
で、そこから、
ココのパーツについて、
最適解を見つけていく。
この流れにしておけば、
対立する部分最適解と、
なりにくくなるんです。
全体として最適解である、
これが出発点ですから、ね。
これ、
何が隠れているか?
とか当てるクイズ、
これの解き方でも、
同じなんですよ。
一部分だけを見るとね、
誤った答えが見えてきて、
本当の答えが見えない。
でもね、
まずは、
全体をイメージしてから、
見えている部分を見る。
とね、答えが見つかりやすいんです。
積み上げ式の思考って、
どっか1ヶ所でも間違ったら、
取戻しがつかないんです。
全部やりなおしか、
よくて、積み間違えたところ、
ここからのやり直し。
初期で間違えれば、
間違えるほど、いたい。
全体の画がかけてないと、
部分部分は正解であっても、
全体が失敗するんです、はい。
でもね、
全体をイメージして、
そこから最適解を探る
この方法であれば、
いつでも、やりなおしが効く。
しかも、すばやく。
致命傷になる前、にです。
結果・完成という最適解を
イメージしてから、
ココの最適解を導き出す。
分解して思考するときも
全体を一気に思考するときも
質問の基本は一緒です。
ボクがしている質問の基本は
How?
なんですよ。
どうすれば?
って質問するのが
ベターであるわけです。
さらに高度になってくると
どうなれば?
って、主語をすり替えちゃう
ってのもコーチングの
テクニックとしてはあります。
どうすれば?よりも
どうなれば?ってのほうが
理想の未来を描きやすい。
どうなればっといのは
主語が不明確=他人の可能性も
非常に高いわけなんで。
で、どうなれば?で想像したあとに
じゃあ、どうすればいいか?って
主語を自分に置き換えるのはテクニック。
これをボクは自分だけでなく
クライアントにもしているわけです。
(ちゃんとしたコーチなので。笑)
これが、結果思考です。
結果=未来から考えているからね。
でね、対立する思考法。
コンサルティングの業界や
ファシリテーションの業界で
まことしやかに言われていること。
Why?を5回繰り返すと、
本当の答えが見つかる
という感じのやつ。
稼げない会社の社長が
よく、よく、よくやってるやつね。
分かんねーよ、んなもん。
で、終了なやつ・・・。
でね、そんな社長の頭の中の
イメージって、こんな感じ。
質問をしていくたびに
原因が特定されていって
だんだんと真の原因
つまり、真の問題にぶちあたり
それを解決すれば問題が解決する。
こういうイメージなんだけど。
これは間違い。
現実にはどうなってるか、
っていうとね・・・
簡単に説明するために
Why?を1回すると
2つの答えの候補が出る
という前提にしてみます。
実に、シンプルに。
でね、Why?を繰り返す
ということは
前のWhy?に対する答え
これを、前提にしている
ということです。
つまり、2つのうち
どちらか1つを選んでいる
ということです。
で、この繰り返しを
5回行うとすると・・・。
あら、不思議。
理論値として、2の五乗。
32個の答えがでるんです。
でね、そのうちの1個を
これが本当の答えだ!
と、信じようとしているのです。
でね、ちょっと待って欲しい。
真実の答えは、1つ、だとしよう。
ということは、32個のうち、
答えは1つ、なんですよね。
ということは・・・
真実の答えに当たる可能性は
32分の1ということ。
これで、本当に良い?
テストで70点しかとれなかった
本当の理由なんて、分からんのよ。
複合的、だからね。
それを一つの理由に絞り込む、
なんていうのがそもそもの間違い。
ただ、減点思考・原因思考だと、
これに陥りやすいのですわ。
キリスト教にしろ
イスラム教にしろ
原因思考を得意とする人たちの
宗教観としてあるのは
唯一神
という考え方だと
ボクは捉えています。
つまり、1つのものを徹底的に信じて
それ以外は、答えではない。
唯一神は、唯一解
という考え方。
だからね
Why?を5回繰り返すという方法は
唯一神、唯一解を信じる
というバックグランドがあってこそ
本来的には成り立つ仕組み
だと、ボクは考えているのです。
論理を超えちゃうもの。
でね、日本人はざっくりいうと
唯一神というバックグラウンドを
もっている人が少ない
というのが、現実だと思います。
もちろん
そういう背景を
もってみえる方も
いらっしゃいますし
それを排除しようという
意図はありませんが。
多くの人が唯一神
唯一解というバックグラウンドを
もっていない日本人。
これにあった
最適な思考法って
なんだろう?
と考えてみるわけです。
するとね、ある言葉が浮かびます。
八百万の神
(やおよろずのかみ)
自然のもの全てには神が宿っている
という考え方です。
山の神様、海の神様
田んぼの神様
トイレの神様
学問の神様
台所の神様
川の神様
米粒の神様、などなど。
で、さらに、キリスト教的な
イベントなんかもやる。
仏教で、多数の宗派がある。
複数の宗派をとる人もいる。
父方は神道、母方は仏教
みたいな人もいる。
でね、こういう状況を
俯瞰してみてみると
目的に合わせて
拝んでいたり
崇拝している
というのが、日本人的。
(もちろん、例外もありますが)
何がいいたいかというと、
得たい未来(結果)
について
複数の解を
適切に組み合わせたり
解を選び直すことで
最適解を導き出し
結果を出す
これが、日本人には
向いているんでしょうよ。
結果から逆算して
複数の答えの中から
最適解を選び、結果をだす。
これが、原因思考に対して
結果思考の決定的な優位性であり
差だと思っているのです。
Why?ではなく
How?で考える。
なぜ、うまくいかないのか?
ではなく
どうなったら、いいのか?
どうやったら、うまくいくのか?
と考える。
こう考えると、答えが無数にある
ということに気が付きます。
で、その中から、
最適解を探し出す。
一発でなければ、
組み合わせて最適解を
創るってのも、手。
部分最適解と全体最適解です。
山の豊作を目的とするのであれば
山の神をまつる祭りをする。
海の安全を目的とするのであれば
海の神をまつる祭りをする。
イメージとしては、祭り。
目的に合わせて
最適なお祭りをする。
結果思考の考え方の
どこがいいかというと、
選んだ解が間違っていたら
別の解を選びなおせる
というところが
最大の特徴だと思っています。
よーくあるのが、
去年はAという神社に行ったけど、
志望校に合格できなかったので、
今年はBというお寺に行って合格祈願
というようなこと。
こういう発想でいいと思うんですよ。
合格という結果これを得るために
最適解を選び続けようとすること。
もし、選んだ解が間違っていたら
それは、最適解でなかっただけで
別のところに最適解はあるんです。
だから、別の道、これが選べる。
ので、結果思考のほうが、
ボクはいいんじゃないかなと、
思っているわけです。
千里の道も、一歩から。
あなたが思考していることは
いつも部分最適解にとどまって
しまってませんか?
適切な部分最適解であっても
まったく全体からは最適解でない。
スゴク多いんですよこういうこと。
部分最適解にこだわりすぎると
全体最適解から遠くなることは
スゴクスゴク多いんです。
だからこそ
全体を見て、全体から
バックキャストして考える
ってことが肝心なのです。
そういうゼネラリストが
活躍する時代なのです。
そんなことを考えながら
リカバリーできるボクは凄いと
自画自賛していたボクなのでした。
さぁて、プランの段階では
しっかり治すことができた。
次は・・・実践だ!
まだまだ2023年は続きます。
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