よーやく障害から解放された感じな
稼ぐ方程式をクライアントと共に
探究・実践する課題解決の外部頭脳
社外COO(スーパー・ファシリテーター)な
「さわちゅう」こと、澤田隼人です。
某所のSOHO的なLAN環境。
どうも、定期的にルーターが止まる。
新品に変えても、止まる。
ネット付き住宅なもんで
WiFiつきコンセントに変わってから
どーも調子がわるい。
管理会社に対応依頼をしても
対応してくれない・・・💀
ので対応していたのですが・・・
ようやく、正常化できたもよう😅
社内ルーターとWiFiコンセントの
2.4GHz帯がカチアッテタようで。
社内ルーターの2.4GHzを
停波したら解消した模様。。。
・・・管理会社に請求書送らんと。笑
まぁ、どちらも機能としては
正常に動作しているわけで。
っていうか
埋込み型コンセントのほうの
WiFiを停波されられるように
しとけっておもうけども。
どっちも正常動作をして
電波干渉を起こしてるから
チャンネル変更等々で止まる。
うーん。
営業と現場が仲が悪い的な
セクショナリズムがはびこってる
某会社みたいな出来事だ。苦笑
部分最適解が対立する
というこがあるわけ。
営業部の最適解はこう、
製造部の最適解はこう。
で、これを単純に合体させたら、
会社として最適解だー!
ってなりそうなもんなんですけど
そうは、問屋はおろしてくれない
わけですよ。経理部とかが出てきて(汗)
でね、部分最適解であっても
全体最適解にならないのであれば
やはりそれは、最適解ではない
と、考えていくのが
正しい思考の方向性。
理想の未来のイメージを
組み合わせて、組み立てて
全体としての理想の未来を
達成できるのか
そして
全体としての理想の未来を
達成するべきことはなにか
ということを仮説・実践、
そして検証してみる必要が
あるのです。
さわちゅう
最適解を探究して
実践せよ!
って、ボクは言っているんですけども。
最適解って、変わるんですよ。
そのときの、最適解ですから。
最適解ってのは生き物です。
ステージが変われば
最適解も変わるのです。
だからこそ
最適解は探究しがいがある。
変わらないと言われるために
変わり続ける必要があるわけです。
常に、最適であるために。
マーケティング上の施策にしても
経営上の課題についても
課題・解決策をボン!と出す
ってのをよくやってます。
特にクライアントに対しては、
見抜けますからね・・・。
まぁ、それには
カラクリがあるわけで。
何やってるかというと
圧倒的なスピードで
理想の未来を描いて
圧倒的なスピードで、
やるべきことを逆算。
まずはこれなわけです。
で、その後
圧倒的なスピードで、
やるべきことを実践する。
やってることはシンプルです。
で、こうやって問題に対処するとき
ボクが必ず思考していることがあります。
それは・・・
理想のワクワクする
未来はどんなものか?
つまり、得たい未来は
どんなものか?ってことを
ニヤニヤしながら考えるのです。
具体的なゴールを決める、のです。
でね、その未来と現実のギャップ
これを埋める方法は何があるか?
って、考えて、
即、実践、です😁
テストをしまくって、
最適な方法を探していくわけ、です。
答えは一つじゃない。
っていうことが多いんですよね。
真実は一つ、かもしれませんが。
複数解があることが
非常に多いわけです。
で、その中で何が最適か?
っていうことを考えて、
選択していく、のです。
正解と正解を組み合わせても
全体として正解にはならない
なんてことがあるから
最適解を見つけ出すのは
難しいわけですけど。
ボクが思考しているのは
理想の未来全体と比べて
今、どうすべきなのか?
なのです。
あくまでも部分は部分。
大切なのは全体なのです。
んでもって
分解した最適解→未来から
理想の未来とのギャップを
埋めるにはどうすればよいか?
を考えているのです。
全体の最適解を考えていくのです。
ボクがしている質問の基本は
How?
なんですよ。
どうすれば?
って質問するのが
ベターであるわけです。
さらに高度になってくると
どうなれば?
って、主語をすり替えちゃう
ってのもコーチングの
テクニックとしてはあります。
どうすれば?よりも
どうなれば?ってのほうが
理想の未来を描きやすい。
どうなればっといのは
主語が不明確=他人の可能性も
非常に高いわけなんで。
で、どうなれば?で想像したあとに
じゃあ、どうすればいいか?って
主語を自分に置き換えるのはテクニック。
これをボクは自分だけでなく
クライアントにもしているわけです。
(ちゃんとしたコーチなので。笑)
これが、結果思考です。
結果=未来から考えているからね。
キリスト教にしろ
イスラム教にしろ
原因思考を得意とする人たちの
宗教観としてあるのは
唯一神
という考え方だと
ボクは捉えています。
つまり、1つのものを徹底的に信じて
それ以外は、答えではない。
唯一神は、唯一解
という考え方。
だからね
Why?を5回繰り返すという方法は
唯一神、唯一解を信じる
というバックグランドがあってこそ
本来的には成り立つ仕組み
だと、ボクは考えているのです。
論理を超えちゃうもの。
でね、日本人はざっくりいうと
唯一神というバックグラウンドを
もっている人が少ない
というのが、現実だと思います。
もちろん
そういう背景を
もってみえる方も
いらっしゃいますし
それを排除しようという
意図はありませんが。
多くの人が唯一神
唯一解というバックグラウンドを
もっていない日本人。
これにあった
最適な思考法って
なんだろう?
と考えてみるわけです。
するとね、ある言葉が浮かびます。
八百万の神
(やおよろずのかみ)
自然のもの全てには神が宿っている
という考え方です。
山の神様、海の神様
田んぼの神様
トイレの神様
学問の神様
台所の神様
川の神様
米粒の神様、などなど。
で、さらに、キリスト教的な
イベントなんかもやる。
仏教で、多数の宗派がある。
複数の宗派をとる人もいる。
父方は神道、母方は仏教
みたいな人もいる。
でね、こういう状況を
俯瞰してみてみると
目的に合わせて
拝んでいたり
崇拝している
というのが、日本人的。
(もちろん、例外もありますが)
何がいいたいかというと、
得たい未来(結果)
について
複数の解を
適切に組み合わせたり
解を選び直すことで
最適解を導き出し
結果を出す
これが、日本人には
向いているんでしょうよ。
結果から逆算して
複数の答えの中から
最適解を選び、結果をだす。
これが、原因思考に対して
結果思考の決定的な優位性であり
差だと思っているのです。
Why?ではなく
How?で考える。
なぜ、うまくいかないのか?
ではなく
どうなったら、いいのか?
どうやったら、うまくいくのか?
と考える。
こう考えると、答えが無数にある
ということに気が付きます。
で、その中から、
最適解を探し出す。
一発でなければ、
組み合わせて最適解を
創るってのも、手。
部分最適解と全体最適解です。
山の豊作を目的とするのであれば
山の神をまつる祭りをする。
海の安全を目的とするのであれば
海の神をまつる祭りをする。
イメージとしては、祭り。
目的に合わせて
最適なお祭りをする。
結果思考の考え方の
どこがいいかというと、
選んだ解が間違っていたら
別の解を選びなおせる
というところが
最大の特徴だと思っています。
よーくあるのが、
去年はAという神社に行ったけど、
志望校に合格できなかったので、
今年はBというお寺に行って合格祈願
というようなこと。
こういう発想でいいと思うんですよ。
合格という結果これを得るために
最適解を選び続けようとすること。
もし、選んだ解が間違っていたら
それは、最適解でなかっただけで
別のところに最適解はあるんです。
だから、別の道、これが選べる。
ので、結果思考のほうが、
ボクはいいんじゃないかなと、
思っているわけです。
千里の道も、一歩から。
あなたの思考結果は
いつも部分最適解になってません?
しっかり全体最適解を意識しないと
適切でないセクショナリズムが
ますますはびこることが多いのです。
スゴく重要なことなんですけども
集中しだすと忘れちゃう。
自分中心だけで考えちゃう。
自分たちのセクションの
利益だけで考えちゃう。
で
会社全体の利益を
ないがしろにしていくわけ。
セクショナリズムってのは
自分の中にもあったりします。
全体としての自分に
最適か?ってことも
考えておかないと・・・
不適切な人生を
歩んでいくことになります😐
そんなことを考えながら
無事に通信が流れている状況に
ホッとしているボクなのでした。
それにしても・・・
管理会社と回線会社、出てこい。笑
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